2014年1月に「わたらせ渓谷鐵道」で、旅をしました。
その時に、
などを訪れ、甚大な被害を受けた旧谷中村の跡地は、渡良瀬遊水池になっている、と知りました。
「足尾鉱毒被害の防止対策のひとつで、氾濫被害の軽減ため」、別の見方としては「鉱毒を沈殿させ無害化するため」「公害運動の拠点となっていた谷中村をつぶすため」谷中村を廃村にして、渡良瀬遊水池がつくられました。
いつか行かなくては!と思っており、今回、機会があったので「渡良瀬遊水池」を訪問しました。
「鉱毒で、稲や木が枯れた」「とにかく悲惨」と認識をしていたので、緑溢れる穏やかな風景に、唖然としました。
旧谷中村の跡地には、いくつかの史跡が残っていました。
田中正造翁、村民たちが、社殿で集まったとされる雷電神社(碑がたつのみで、社殿は残されていません)への階段。
日本公害運動の原点とも言える場所です。
延命院墓地跡
この大きな木は、どのようなものをみてきたのでしょう?
このわずかに残る旧谷中村の遺跡も、1970年代の渡良瀬貯水池造成工事のさいには、池に沈む計画になっていたそうです。
そのさいに「谷中村遺跡を守る会」の方たちが、遺跡が守りました。
貯水池のハート型のくびれた部分に、旧谷中村の遺跡があります。
旧谷中村の遺跡がなければ、貯水池は楕円形になっていたかもしれません。
実際に動いたのは「谷中村遺跡を守る会」の方たちでも、田中正造翁の「心(ハート)」が、そうさせたのかも知れません。
その渡良瀬遊水池を、レンタル自転車でサイクリングしました。
圧倒的な緑の中に、立ち枯れの草が生えている部分があります。
あそこには、いったい何があるのでしょうか?
貯水池には、水がなみなみと貯まり。
釣りをされている方たちがいらっしゃったので、魚もいるのでしょう。
2012年にはラムサール条約に登録をされたそうな。
足尾銅山鉱毒事件から100年以上がたち、自然は力を取り戻したかのように見えます。
ただ、100年以上前に旧谷中村で起こったことが、今、福島や沖縄で起こっているのではないでしょうか?
人間は進歩すると信じたいのですが、同じことを繰り返すのね、と悲しい気分になりました。
The old Yanaka village was severely damaged in the Ashio Copper Mine Incident.
The site has become a Watarase retarding basin.
I had the opportunity,I went there.
In 2012, it was registered in the Ramsar Convention.
Passed since more than 100 years from the Ashio Copper Mine Mine incident, natural looks as if regained power.
However, what has happened in the old Yanaka village more than 100 years ago, now, I think, it happens in Fukushima and Okinawa?
I want to believe that human progress.
But human beings repeat the same thing.
It is sad.
2015年5月9日 May 9, 2015