種子島で県道75号線を南下中に「歴史の証人」と言う看板をみつけました。
気になったので右折をしたところ「戸畑の煙突」がたっておりまして。
何でも、太平洋戦争中の1942年1月に、増田(このあたりのエリアのようです)海軍飛行場とともに、防空壕、兵舎などの基地建設が決定されたそうです。
1942年8月に着工。
基地内の滑走路の建設には、島内のいろいろな方たちが、昼夜と動員され、2本の滑走路のうち、終戦間近になって1本が人力で完成したそうです。
しかし、終戦前の空襲で、地上施設のほとんどは、破壊され、数十年の時間の中で多くは解体されました。
そして「戸畑の煙突」のみが当時の面影を残しています。
こんなのどかな島にも空襲があったのですね。
この煙突の用途ははっきり分かっていないようですが、兵隊さんたちの風呂場、あるいは食事をつくっていた場所ではないかと言われています。
手前の楕円形のコンクリ跡には、雨水がたまり、オタマジャクシが命を育んでいました。
「戸畑の煙突」から少しいったところにあった「九州海軍航空隊種子島基地之碑」
字が読みにくいですね(苦笑)
特に意識をして「戦跡めぐり」をしている訳ではないのですが、日本を旅していると、たくさんの戦跡にであいます。
70年前には、日本のあちこちに「戦争の影」があったのでしょう。
I found a sign that says “history of witness” in south 75 Route prefectural road in Tanegashima.
I turned right, I found a”The chimney of Tabata”.
The chimney of the application does not seem to know clearly, but it has been said the place was soldier’s our bathroom, or kichen.
In particular, I didn’t mean “Battlefield Tour”, but when I travele in Japan, you I encounter a lot of Battlefield.
To 70 years ago, there was “the shadow of war” here and there in Japan.
▼戸畑の煙突-種子島の観光スポット
http://www.furusato-tanegashima.net/tanegashima/kg/tobata-entotu.html
▼種子島の記念碑-九州海軍航空隊種子島基地之碑-ふるさと種子島
http://www.furusato-tanegashima.net/hi/na/ki-kaigun-koukuutai.html
2015年5月17日