十数年お付き合いしたパソコンとお別れを決意し、写真の整理をはじめました。
2013年に沖縄本島+八重山諸島を旅した写真がでてきました。
首里城は、これまで琉球王国時代に3度、第2次世界大戦で4度目の火災に遭い、そのたびに再建を成し遂げてきたそうな。
在りし日の姿とお届けし、復興のほんの一助にでもなれば・・・と願い、記事をアップします。
ひとり旅してシェアしたいこと
1.弾丸の傷が生々しさときたら!沖縄師範学校跡
直接、首里城公園とは何も関係がないのですが、沖縄師範学校の跡がありました。
沖縄戦では、師範学校生徒の多くから「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」が構成され、たくさんの犠牲者を出しました。
駐車場の日常と、弾丸跡とが、距離的には近くても、遠い過去のように感じ、それでいいのか?と思ったものです。
▼沖縄師範学校跡について
https://www.naha-contentsdb.jp/spot/682
2.500年以上の歴史!弁財天堂と円鑑池(べざいてんどうとえんかんち)
この池は「円鑑池」と言い、1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっているそうな。
赤いお堂は「弁財天堂」で、当初は1502年に朝鮮から贈られた方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)を納めるために建立されました。
その後、紆余曲折の末、沖縄戦後、1968年復元されたそうな。
500年以上前から、沖縄(琉球)を眺めてきたって、凄いです。
▼弁財天堂と円鑑池(べざいてんどうとえんかんち)について
http://oki-park.jp/shurijo/guide/58
3.首里城公園を2013年にひとり旅したコース
琉球王国は、1429年から1879年までの450年わたり存在した王制の国です。
中国、日本、東南アジアとの盛んな交易によって、独特な「琉球文化」が育まれました。
琉球の政治、外交、文化の中心が、こちらの首里城でした。
1945年の沖縄戦で、破壊されつくしましたが、1992年沖縄の本土復帰20周年を記念して、復元されました。
3-1.朱塗りが青空に映える!守礼門
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味です。
守礼門には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれており「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうです。
日本だと、お堀を渡った橋の先に門があり、兵隊さんが待機していたりするのに、こうした無謀さって何なんだろう?
3-2.園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所。
形は門になっているのですが、人が通るための門ではありません。
「神への礼拝の門」と言った場所です。
▼国指定重要文化財!2000年(平成12)には世界遺産へ登録されました。
http://oki-park.jp/shurijo/guide/52
3-3.首里城第一の正門!歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。
首里城は、一般的なお城より「welcome」な姿勢がうかがえます。
3-4.瑞泉門(ずいせんもん)首里城×第二の門
「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味がそうです。
ここは第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう、そうな。
四角い石で、曲線の石垣がつくられる不思議。
3-5.第三の門!首里城の漏刻門(ろうこくもん)
「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味で。第三の門。
別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。
当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したそうな。
高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りた!ということから、そのように呼ばれています。
3-6.広福門(こうふくもん)
そろそろ、ネタが尽きてきました。
3-7.2013年の正殿(せいでん)
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿、または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。
この鮮やかな建物が、焼失してしまったのが悲しい(*ノ-;*)
この場は、御差床(うさすか)と言い、国王が座る玉座があります。
なお、国王の椅子は、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものです。
って、500年以上前のものでした。
▼首里城の本殿について
https://oki-park.jp/shurijo/5176/5187
3-8.首里城の女官らが利用!淑順門(しゅくじゅんもん)
国王やその家族に仕える女官らが御内原へ入るときにくぐった門で、別名「みもの御門(うじょう)」「うなか御門(うじょう)」とも言うそうな。
3-9.久慶門(きゅうけいもん)首里城の通用門的存在
流れるような石垣とハイビスカスとが美しい久慶門(きゅうけいもん)。
別名「ほこり御門(うじょう)」とも言うそうな。
歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門。
主に女性が利用した!と言われています。
さて、久慶門から、歩いて金城町石疊道まで移動します(* ̄∇ ̄)ノ
4.真珠道経由で、首里城公園から、徒歩で金城町石疊道を観光
上の「久慶門」から真珠道まで5分ほどで「真珠道」に到着
※写真のタイムスタンプ参照
金城町石疊道と言えば、こちらの街灯がはいった写真を、よく見かけます。
戦渦を生き残った大アカギには、凄みがあります。
▼2017年に再訪問にしたときには、囲いができていました。
先ほどの電灯まで戻ってきました。
そして「久慶門」へ。
写真のタイムスタンプを見ると「久慶門」→金城町石疊道「久慶門」に戻ってくるまで50分の道のり。
アップダウンが激しく、しんどいですが、歩いていくことができます。
5.【まとめ】首里城と金城町石疊道!2013年にひとり旅したコース
この記事を書くために、首里城公園の公式サイトを調べました。
首里城は、琉球王朝の頃から、何度か焼失し、修復を繰り返してきています。
今後もきっと、立直る!と信じてやみません。
コメント
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